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神戸家庭裁判所 昭和50年(家)1922号 審判 1975年10月20日

申立人 梶山康一(仮名)

相手方 川上美津子(仮名)

事件本人 川上洋司(仮名)

主文

申立人の申立を却下する。

理由

申立人は事件本人の親権者を相手方から申立人に変更する旨の調停を求めたが、同調停は昭和五〇年九月二五日不成立に終り、審判手続に移行した。

(当裁判所の判断)

申立人と相手方は昭和三八年一二月に婚姻した夫婦であつたが、昭和四三年四月二日調停離婚し、長男である事件本人の親権者を母である相手方と定めた。事件本人以外に両名間に子はいない。離婚原因は性格的な不和および住宅新築に伴う経済的問題が主たるものであつた。事件本人はその後相手方が監護して現在に至つており、申立人は調停条項にもとづき同人の教育料として毎月八、〇〇〇円宛を支払つて来ている。申立人は○○汽船会社船員(調理員)として勤務し昭和四四年二月二四日現在の妻美江と再婚し、同年一一月一〇日長女礼子が生まれている。相手方は再婚せず病院の看護婦として勤めて来た。母たつえ(六三歳)が同居し、監護に協力している。昭和四八年三月になつて相手方は申立人に対し、事件本人の法定代理人として事件本人の名において、その養育料月額八、〇〇〇円を物価高を理由に月額一万五、〇〇〇円に増額を求める旨の調停を申立てた(当庁昭和四八年家イ第二二七号)その調停事件進行中相手方は昭和四九年一月二三日くも膜下出血で倒れ、同年六月二九日退院したが、左半身麻痺をおこし、歩行障害を生じ、以後機能回復訓練に通院治療を受けているけれども、はかばかしくなく、後遺症状が長く続くものと見られている。相手方はそのため離職のやむなきに至り、昭和五〇年七月までは傷病手当を受給し得たが、以後無収入となり、母や弟の援助によるほかなくなり、事件本人の養育料についても月額四万円宛に増額を求めるようになつた。以上の事実は当事者間に争いがない。そこで申立人は、事件本人の監護を相手方に委ねておくよりは、申立人方に引取り、申立人において監護するのが相当であるとして親権者の変更を求めるので検討する。家庭裁判所調査官若林久士の調査報告によると、相手方は上記のような機能障害があるけれども思考は明確であり、会話も通常に復しつつあること、同居の母たつえは六三歳であるけれども、もと郵便局事務員としての勤務経験を有し、しつかり者であり、相手方の介護、事件本人の身辺の世話は十分果し得ていること、相手方の実弟川上宏一も相手方の病気を機に大阪府下茨木市から八日市市に帰住し、何かと援助していること、事件本人は小学校成績良好で、性格も明るく、相手方のこれまでの養育方法も適当であつたと見てよいこと、相手方やその母親、実弟らは事件本人を手放して申立人に引渡すことは全く考えておらず、むしろ相手方は事件本人の成長を自己の生き甲斐として強い愛情を持つており、母親や実弟もこれに共感同調して監護に協力することを約していること、申立人は相手方との離婚以来事件本人とは面接等の交流なくして過ぎてきたこと、また申立人は船員で年間相当期間乗船して家庭を不在にすること、そうすれば結局不在期間中は後妻美江の監護に託さなければならぬこと等の事実が認められる。また、事件本人が相手方や祖母のもとを去り、申立人のもとに行くことを望んでいるような事実は認められない。これらの事実を総合して考えると、相手方の上記身体障害にかかわらず、事件本人の親権者は引続き相手方にしておいて差支えないのみならず、むしろ事件本人の情緒安定上はこれまでの環境、とくに母親や祖母らとの間の心的なつながりを変えないことの方がより望ましいと認めるのが相当である。申立人の父としての愛情は経済的な面で考慮されるべきである。申立人は、事件本人の現在の監護状態に問題がないとしても、相手方の機能回復・社会復帰が長期にわたつて困難視されているため、事件本人の今後の成長に対応しうるかどうか極めて不安である旨を言い、年齢的に環境順応性に富む現在この機会に申立人方に引取るのが子の利益である旨主張し、かつ、案じる。しかし、それがためには、申立人夫妻と事件本人との間にある程度の心的交流が先行する必要があるものというべく、それなくして一方的に監護者の変更を宣しても、その実現が期待できないか、またはかえつて、事件本人の情緒をそこなうおそれが大きいので、それがなされていない現状では相当でない。その他親権者を変更しなければならないような事象は認められない。よつてその変更を求める申立人の申立は現状では相当でないと言わねばならないから却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 坂東治)

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